人生反省記Vol.2

馬鹿は馬鹿なりに。http://blogs.yahoo.co.jp/imutan813

コンプレックスと向き合う

自分を占めている要素をふたつあげるとすれば、「好奇心」と「コンプレックス」だと即答できる。

好奇心はもうそのままだ。新しいことを見たいし聞きたいし知りたいし嗅ぎたいし感じたいし学びたい。勉強も、やる気のある時はほんとうに楽しい。やる気のないこととときは全くやらないので、実は勉強は楽しい。基本的に何でも大好き。好奇心の湧かないことは苦痛。だから反復演習とかが嫌いで、興味がとっ散らかって大成しないタイプ。知ってる。

好奇心とコンプレックスが占める割合はときによって違うけど、こんな記事を書くくらいなので今は2:8くらいだ。

自分のコンプレックスに対する悩み事はほんとうに多くて、自分が嫌いすぎて反吐が出る。自分のことが好きになりたいし自信も持ちたいけど、まあ無理だよね。理由はあとでいうけど。

自分が初めてコンプレックスを意識し始めたのは実は18歳とかそんなんで、それまでは感じたことがなかった。あまりにコンプレックスという感情を覚えたのが遅すぎたのもいまこうしてコンプレックスに苛まれている原因なのかもしれない。高校卒業まで大きな挫折もなく、幼少期から学童期はなにをやっても他人より優れていたし、色々褒められまくりだったし、中学校も成績優秀だったし、優秀な友達とも張り合えていたのでコンプレックスを感じるまでに至らなかった。何を間違ったか進学校に入学してしまったのが間違いだったんだと思う。出身校を自称進学校という人もいるけど、わたしの目には少なくとも立派な進学校に映る。いまは。当時は、脳みそのとろける3年間を過ごしたため、ほぼ無の状態で、多少本を読んでいたくらいで全く勉強しなかったがゆえに、コンプレックスなど感じなかったし、いくら成績が悪くても、自分がいる高校に対する信頼とプライドにより大手を振って毎日生きていた。

 

 

 

 

 

つらくなってきたしそのうちつづきかく

女は顔だなぁ

女性は顔だ。

男性は顔だとは一概には言えないが、女性は顔であると一概にして言える。

これは恋愛についてではない。恋愛であれば逆に男性も女性も顔を重視する人もしない人もいるので、一概には言えなくなる。人を好きになるときの大きな条件としてもちろん顔はあるけれど、言うほど顔の良しあしが恋人の有無に関係するとは、ある程度までは思えない。

 

社会的な成功を修める女性はみな美人のような気がする。

とりあえず何をしている活躍する女性でも、「美人〇〇」がつくことは必須に近い。この場合美人のハードルが下がっていることも否めないが、少なくとも身だしなみの整っている女であることは間違いない。

美人でない女性が社会的に成功することは非常に難しい。男性は別にイケメンでなくたって社会的に成功しているのに。何故なのだろう?

そこには根本的に、2つの理由があるのだと思う。

①ひとはみな美人が好き。美人であるだけでまず好き。

②男性の方が基本的に物事を極める人が多い。

①はもうどうしようもない問題で、男はもちろん女だって美人が好きだ。好みはあれど、美人な店員さんに料理を運んでもらって不快になる人間はそういないが、ブスが料理を運ぶことに不快感を示す人間は一定数いる。人間の本能として、整った顔をもつ人間に快を、そうでない人間に不快をしめすようにできているんじゃないかと思う。要するに、同じようなことを美人とブスが同時にやっていたら、誰だって美人がやったことにより快を覚えるだろうということだ。

②これもどうしようもないかはともかく事実だろう。物事を極めて頂点に立つ人間は男性が多い。多分脳の仕組みがそうできているんじゃないかと思う。いわゆる天才肌というか。逆に、何でもできるタイプの秀才は女性に多い気がする。勉強も出来て、運動も出来て、ピアノも上手で、人当たりもよい、しかも美人でスタイルもいい。個人的な感想ではあるが、こういうタイプは出会ってきた中では女性が多かった。けれども、彼女らは何においてもトップレベルではあるがトップではなく、次点位につくことが多かった。女性の脳は子育てやらなにやら色々なことに気を配る必要があるためそういう風に脳が発達したという話はどこかで耳にしたことがありそうだ。

そんなわけで、女性の方が、何でもできて何でも持っているタイプが多かったように思う。①、②が組み合わさると、女は顔だな~となるわけである。

もちろんこれは顔の整っていない私の僻み?偏見?が混じっているのかもしれないが、そのような傾向はあるのではないだろうか?

そんなわけでコンプレックスがより強まるわけであった~完~

 

私の周りにはほんと顔もよくて頭もよくて優しい友人が多くて、更にいうなればみんなちょっとヘンだ。いわゆる女子大生みたいに友達とかれぴっぴと遊ぶ4年間というよりは、自分と向き合って自分に納得がいかなかったり、自分からすると高次元なことで悩んでいたりした。そして最終的にはなんやかんやで高学歴大学をご卒業されていくのである。は~コンプレックス。

忘備録

「事実」あるいは「現実」というのは、その事柄を含む映像、触感、匂い、音、時間でできた非常に曖昧な空間のようなもので、それらのただ一つがかけていても「事実」や「現実」とは厳密には言えない。

更に、そこにいる登場人物になってしまった時点でその空間を第三者的に見ることは出来ない。つまり、「事実」という空間を正確に第三者的に眺める手段というのは、あたかも世にいくつも転がっているように見えて一つもないのだ。

 

自分の頭の中にそういう考えが前から漠然とあって、言葉に表すことがうまく出来なかったのだけれど、ふと文字に起こせるくらいになったので忘れないうちに書いておこう。

何故この考えを記しておきたいと思うに至ったかと言えば、この考えが自分の中で一つの大きな観念として持てていると、自分の理想とする心に近づけると思ったからである。文才がないのでうまく表現できないが、もやもやとした頭の中を素直に文字に起こすと、こんな感じだ。

これがどんな風に活きるのかという点についても、漠然とこういう場合という例は思い浮かぶのだけれど、文字に起こすまで説得力のあるものにはならない。ただ、ここ数年、あるいは人生23年間を生きてきて、色々な経験をそれなりにしてきて、幾たびもこの考えにぶち当たった事は間違いない。

 

ここからは俗っぽく全く上の内容とは関係ないことになる。

私は、モノを考えてから行動するよりも、行動してからモノを考えることが多い(頭の悪い人間の典型例と言えばそう)。それには後付けかもしれないけれど一応の理由はあって、モノをいくら考えても、自分が考えるそのモノは自分が考えるその物事に過ぎないので事実や現実とは同じにはなり得ないからだ。もちろんそのモノの概ねの方向性は同じ場合が多いし、物事には慎重になった方が多いこともたくさんある。結果として、先ほど言ったような空間的・客観的事実は変わらないのかもしれない。けれども、私達人間(というか私のような人間)が必要とするのは空間的・客観的事実なのではなく、そこに自分を投入させた主観的結果とそこで感じたことなので、モノを考えて満足するくらいなら、失敗してでも自分をまず投入させたいと思ってしまうのだ。

 

だから、ゆえに、結論は?と言われるとまた文章力がないのでうまく書けないのだけれど…

……自分が想像する、あるいは他人から得られる情報で満足してはならないししたくない、出来うる限り自分の全ての感覚機能を使ってこの世とこの人生を楽しみたい……

…ってことにしとこ。寝よう。

試験前夜のがけっぷち映画論評

‪ひねくれてるからなのか、映画のラストが全部うまくいくハッピーエンドだと一気に萎える。君の名は。をみたときも最後で頼むから出会わないでくれってずっと願い続けてたけど出会っちゃったからそこで萎えた。

ジブリの好きなところは、ハッピーエンドだとしても一抹の寂しさや不安を残してるから印象的だし心に残るところなんだなってそのあと気付かされた。

何ならハッピーエンドじゃない映画の方が好きかもしれない。バッドエンドだけど、そこに一筋の光が見えている方がドラマを感じる。

人間らしさとかドラマって、ハッピーエンドや幸せからよりもバッドエンドや悲しみからの方が生まれやすいと思うんだよね。


そんなわけで、アジア中で大人気の君の名は。だけど、言うほどかなぁ〜 とずっと思ってる。なんか人間くささやドラマが全然なかったからピンとこなかったなぁ。

新海作品は良くも悪くも爽やかだよね。わたしは、そのフィクション臭い爽やかさが、リアリティを追求してる背景とミスマッチで好きじゃない。フィクションなら潔くフィクションを貫いて欲しいのに、妙に現実に寄せてきている辺りが嫌い。


日常系アニメが嫌いなのも同じ理由だと思う。現実にいるわけがない男の理想と欲望の塊みたいなテンプレ美少女たちが、あたかも目の前の現実世界に生きているかのような描写が嫌い。


人間くさいきったない映画のおすすめがあればぜひ教えてください。

1/17

周りの世渡りのうまい友達(やはりこういうタイプは女性が多い)を見てると色々な複雑な感情を抱くけど、そいつらの犠牲を被ってるぶんそいつらよりはせめて楽しいことしないとって強く思って生きてる。日々強く思って生きていることってそれくらいかもしれない。

まあ人生って別に他人と比較するもんじゃないんだろうけど、社会で生きていく上で他人を意識しないなんて無理でしょ。

自分が圧倒的に楽しんで楽しんで相対的に他人を蹴落とせたらいいなと思う。不愉快な意味でではなく… 自己満足の世界で。


と疲れたのでちょっとだけ。

授業中

授業中あまりに暇なので久々にブログを書く。

ちなみに今は循環器の授業中で、来週に試験を控えているため真剣に聞かなければならないのかもしれないが、それを上回るつまらなさなのが悪い。


今日はいたってどうしようもないことを話そうと思うだけ。


首都圏の大学に進学した学生のほとんどはそのまま首都圏で就職する。それどころか、地方の帝大なんかに進んだ学生もほとんどは首都圏で就職する。

首都圏のロクデモナイ大学の学生の進路は知ったこっちゃないのだけれど、折角地元の優秀な人材が地元の大学に進学したにもかかわらず、就職を機に結局東京に奪われていく現状が見ていてやるせない。

私自身就職活動とほとんど縁のない人生を送る予定なのでよく社会構造について知らないのだけれど、地方で若者が会社員をするというのは様々な点において首都圏のそれに劣っているし、地方自体の魅力が劣るのだろう。しかし、そうなると優秀な人材はどんどん首都圏に集まり、そうでない人材(というと語弊があるが)の集まる地方との差が著しくなるのではないか。そうしたら、地方はこの先どうなっていくのだろうかと思う。


地方の金持ちと首都圏の金持ちは質が全然違う。首都圏の小金持ちは色々いるだろう。大手企業の会社員とか、都の職員とか。それだけでバラエティに富むと思う。一方地方はというと、小金持ち程度の人間はほぼ8割方専門職と見て間違いない。

地方で金を稼ぐためには一般的な就職ではどうしようもないということなのだろう。

若者が地方に残らないことを嘆いてはみたものの、解決法と言えるようなこともおおよそ見当たらない気がする。


実際地元の自分の周りを見ると、見事に今社会人をやってる人間が1人もいない。1人も。本当にいない。理系だからというのもあるので修士が終われば出てくるのだろうが。しかも、そのうち一般企業に就職するのはざっと3割くらい。残りは、専門職か、資格職。田舎の人間の進路とはそんなもんだ。地方に生まれ育ち、地方に生きたいと願う人間がいても、資格を持ち合わせていないと生き延びれない、それが宿命なのだなと思う。


休み時間になった。

閑話休題

中国一人旅所感

3/13~3/20の間中国に行ってきた。

行く前、行った先で、そして帰ってきて、少し経って、感じたり人と話したりして様々な思いが生まれたので少し書き留めておこうと思う。

今後の人生で何らかの理由で中国を訪れる可能性のある方は参考になるかも?

香港、台湾ではなく今回はあくまで大陸の話をしたいと思う。

 

主に三つ。

「なぜ中国なのか?」

「危なくないのか?」

「海外(一人)旅で変わったこと」

 

・なぜ中国なのか?

一つには金銭面で航空券や物価が安く、その割に社会が発達していて治安が悪くない点にある。治安については次項で書くけれど、日本人が想像するより街はずっと現代的な面も持ち合わせているように思う。交通網も発達していて旅行もしやすい。その割に、あらゆるものの値段は安い。

例外:トイレ

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二つ目に、物理的距離と心理的距離の比例しない感じが不思議でたまらなかったから。

漢字は使われているし、見た目は変わらないし、すぐ隣の国なのになぜここまで仲が良くないのか。そもそも中国人は沢山日本に来ているのだから、日本人だって中国に行ったってよくないか?と思った。面白さがわかりきっているところに行くより、自分で開拓する方が楽しいじゃない?

 

・危なくないのか?

結論から言うと全く危ない目には合わなかった。未遂もなかった。昨年行ったときは友達と二人して豫園(上海)でお茶をボったくられた(多分)けど、今回は警戒していたこともありそういう詐欺の方面でも、身の危険の方でも、全くもって安全な旅だった。

「中国に女一人って危なくない?」と行く前も行った後も散々言われた。何なら向こうで知り合って中国人学生たちにも言われた(「スリがこわい」って言ったら「問題はそこじゃねーだろw」って言われた)。

同じ容姿なのだから、まーず日本人だとわからない。

何度「你是中国人吗?(あなたは中国人ですか)」と尋ねられたことか。

女の子はスカートはいちゃだめ。スカート姿の人間は向こうで7日間一人もみなかった。染髪・巻き髪もほぼ見ないのですると目立ちそう。基本的に女の子は黒髪黒いスキニーに上シャツやセーター着て黒ぶちメガネ薄化粧あるいはノーメイクで中国人のコスプレは完璧。男はわからん。

地図も百度地図(中国のアプリ)を使ってたし、iPhoneの言語設定は英語だった。気にする人はそこらへんも変えておくといいかも。面倒くさくて私はいつでもどこでも地球の歩き方を堂々と眺めてたけど、興味津々に見てくる人はいても話しかけられはしなかった。

あとは、タクシーを使わないとか、夜道は極力歩かないとか(結構歩いちゃったけど)、当たり前の事さえ注意すれば大丈夫だと思う。

なるべく目立たず、なるべく一人にならない。あと残念なことではあるけれど、言語がおぼつかないのであればなるべく他人と接触しない。旅行の醍醐味だけど、身の安全の方を優先すべき。

あと縁があってお話しする機会があっても、自分が確証を持てなければホイホイついていかないこと。それから歴史や政治の話をしないこと。はなからあまり知識がなかったので関係なかったけれど、お互いの関係にいくらかの問題のあった・ある国であることは充分頭に入れておいた方が良いと思う。あと今自分は相手の国にいるのだということも。

郷にいては郷に従えってやつ。だから基本的にケロリとした顔で向こうの人に右ならえして過ごすことが大事。

ただ、地下鉄で並ばずにしかも入る人と出る人がゴチャゴチャしている文化はどう考えても効率が悪いから、平然とした顔で車内の人が出やすいように一度外に出て中に入ってみたり、降りる人を優先させてあげた。あとは何かの時に横入りされてもスマートに対応して、時には道を譲った。チャイニーズよ、これがジャップだぜ。

例: 大連の旅順区を中国人の子に案内してもらった時、日本人の歴史オタクなら必ず行くであろう203高地などは行かないようにした。どうしても侵略の話を避けては通れなくなるだろうし、感情を逆撫でして得することはない。まあもう一度旅順に行く機会があれば是非いきたいけれど。

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・海外旅で変わったこと

日本で考えていたことが大体合ってた。国同士がどうであれ、中のほとんどの庶民にとってそれらはどうでもよくて、異国の人がいれば興味が湧くし、それなりに優しくしたいと思うはず。実際にそう思う時が非常に多くて、自分の思いは強まった。というわけで変わったことは特にない。

バックパッカーみたいな旅って文系の時間のある大学生しか出来ないと思っていたちっぽけな女子医学生がした旅行にしては結構上出来じゃないかな?

私は中国が好きで中国を訪れている。基本的に訪れる国には好意をもっている。嫌いな国にわざわざ高い金を出して旅行しようとは思わない。その国の文化や人間に興味があって、仲良くできたらなと思っている。そういうスタンスでいることが一番大事なんじゃないかと思う。歴史や政治についてあまり詳しくないことが逆に良かったのかもしれない。

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余談だが中国人は日本のアニメが大好きだ。私はほとんどアニメを見ないのでワンピースの話題をふられても分からないと言ったらビックリされた。日本語専攻でなくてもほとんどの男女が何らかの日本のアニメのファンで、出会った6人全員がジブリが好きと言っていた。みんなして「海の見える街!(日本語)」って言ってメロディを歌っていた。帰りに見送ってくれる時に日本語専攻の男の子と一緒にトトロの「さんぽ」を日本語で一緒に歌いながら泣きそうになった。国を越えて、言葉が全く分からなくても、文化が違っていても、よい音楽やよい作品はお互いにわかりあえるのだということに感動した。

 

仮に今後、中国あるいはどこか違う国との関係が、観光客が訪れられないほどに悪くなったとしても、私はあの日の感動を忘れないと思う。そのことが力にならないとしても、あの時に感じたことは、感じたことのない人には決して得られない貴重な体験だったし、必ずどこかで活きると思っている。

 

かっこよくまとめてしまったけど、とにかく楽しかったからよかった!

しばらくは行きたくないけど(汚いから)また行くぞ!